ニーム〜リヨン

それでは旅行の総括の続きを。


2/26 ニームマルセイユ


朝、ローマ時代の遺跡と円形闘技場を見学。
南仏の町並みはフランスというよりイタリアに近い。円形闘技場ヴェローナでかつて見学したものにそっくりである。
闘技場→要塞→住居→闘牛場→観光地
この闘技場はこのような変遷をたどって現在に至っているという。
増築がされたりもとの姿に戻されたりと若干手が加えられつつも、ほぼ原型をとどめたまま2000年もの時間を耐えているという事実に感動する。
積石造の経年変化に対する強さを再確認する。


続いて市街地でメゾン・ド・カレとカレ・ダールへ。
写真でよく見るような新旧の列柱の対比は、外側から見る限りそれほど効果的でないように思う。
この列柱の本当のよさは、カレ・ダールの中からメゾン・ド・カレの方を見たときに初めて実感される。
石の柱と鉄の柱。新旧の技術の対比。
この対比を効果的にするために決定的に重要なのは二つの建築にはさまれた広場。
その広場を通る道路の交通量はさほど多くないということが幸いしている。
もしこれが交通量の多い通りであったら両者の関係は台無しになっていたかもしれない。


そのあと、マルセイユへ。
港と要塞をみてから、この夜の宿泊先、ユニテ・ダビタシオンへ。
ピロティの力強さと屋上庭園の開放感、抜群のロケーションはすばらしい。
ピロティの打ちはなしコンクリートをよくみると杉板型枠のパターンが市松模様状につけられている。こういうマテリアルの扱いが空間のよさを支えている気がした。
例の中廊下もなかなかの雰囲気。かねてから片廊下型の集合住宅には可能性を感じていなかったが、やはり片廊下より中廊下の方がいいなと思う。
うまくやれば日本でも通用するはず。
宿泊した部屋はもっとも標準的なもので、入ってすぐ横にバスルーム、その奥にリビング兼ベッドルーム。ブリーズソレイユでガラスが覆われている部屋。プラン自体は普通。
ユニテでもっとも面白いのは、ファサードは単純なのにその内側にかなり多様な組み合わせの住戸が入っている点である。
だからこの建築を正しく評価するためにはすべてのタイプの住戸を見学する必要がある。
しかし僕が見学することができたのは自分の部屋(幅4.2mくらい)と一人用の部屋(幅1.8mくらい)だけ。
できればメゾネットの部屋を見たかった。


2/27 マルセイユアヴィニョン


朝、ユニテのレストランで朝食。このとき、卒業旅行に来ている横国の建築院生に出会う。
彼もユニテに泊まっているときいて、すかさず部屋を見せてもらうことをお願いし、見せてもらう。
このとき幅1.8mの一人用の部屋を見せてもらった。彼が言うには、ラ・トゥーレットで泊まった部屋もおなじプランだったという。(後日自分の目で確認)
あまりの極小っぷりに驚かされる。
ベッド、トイレ、バスルーム以外の行為はすべてこの部屋の外の違う空間で行われることが前提となっているからここまで狭い部屋が成り立つのだろう。
このとき、日本の一人暮らし用の住戸に、ほとんど同じ間取り(幅2mくらい)のものがあるのを思い出す。
この事実は逆に、日本の住宅の機能はかなり外へ流出しているということを示している気がした。
自分が当たり前だと思っていた状態、特に東京の都心部の住宅事情は、やはりかなり異常であるらしい。
彼と連絡先を交換。建築をやっている限りまたいつかどこかで会うだろう。


昼、再び港へいって地中海をしばらく眺めたあと列車でアヴィニョンへ。
マルセイユにくらべてだいぶ寒い。町並みはやはりイタリアに近い。
翌日ポン・デュ・ガールへ行くのでどうやっていくかをインフォメーションで聞く。
ところが「この時期はバスはない」ときっぱりいわれてしまう。
でもどうしても信じられなかったので、翌朝ちがう人に聞いてみることにする。
こっちでは人によってぜんぜん違うことを言ったりすることが多いので。
ひどいときは人によって列車の切符の値段が違ったりする。


夜、街をぶらぶらしていたら本屋で日本語の漫画が売られているのを発見して思わず立ち読み。
この街には語学留学している日本人学生が多いようだ。そのおかげで古本屋に日本語の本があったりする。
一人でビールを飲むべくレストランに入ったらなぜかフランス大会のワールドカップ決勝の録画がやっていて最後までみてしまった。
ちょっと疲れ始めてきていたので早めに就寝。


2/28 アヴィニョン→リヨン


早めに寝たおかげでかなり回復。ポン・デュ・ガールへ行くべくツーリスト・インフォメーションへ。
ところがインフォメーションの人に「今日はもうバスはでちゃったわよ」といわれる。
やっぱりバスはあったのだ。そしてそれを前日ちゃんと教えてもらってればこの日ちゃんとポン・デュ・ガールに行けたのだ。
ちょっと残念だったけど、逆に予定を早めてバーゼルに滞在する時間を半日増やすことにする。(結局これが功を奏す。)
というわけで朝のうちに次なる都市、リヨンへ。


まずドミニク・ペローのメディアテークへ。
この建築の最大のウリは外装である。ダブルガラスの中にコの字型断面のパンチングメタルが凹凸を作りながら収められている。
外から見たときは中が若干透けて見えて不思議な見え方をしている。
しかし中に入ると外からの光は思ったよりも強く入ってきていて、外の景色もよく見える。
パンチングメタルの穴の大きさはメディアテーク(図書館)のプログラムを成立させるぎりぎりの大きさを選んでいるのだろう、強すぎず弱すぎず光が入ってくるのは秀逸である。
一枚あたりの幅を計ったら1.8mあった。すでに流通している製品を利用してこのパネルを作っていたとしたらさらにいいと思った。


次はジャン・ヌーヴェルのオペラ座へ。
増築部分は思っていたよりもずっと大きいヴォリュームで、それほどよいプロポーションには思えなかった。
ただし外観と内部空間のギャップは意外で面白い。ホワイエ部分はかつての建物の空間を流用するというのもうまくいっているように思える。
しかしそれにしても周りの町並みに比べるとかなり圧倒的なヴォリュームになってしまっている。


リノベーションでこれほどの床面積の増床を求められるというのは、かなり難しい課題である。あまりスカッといい印象を得ることができなかったが、もし自分が同じ課題に取り組んだらと考えると・・・・やはりヌーヴェルのこの回答はかなりレヴェルの高いものだと感じた。



3月編はまた後日。