震災復興とシリア内戦

今日はすこしマジメな投稿を。


被災地での建設物価の高騰、職人不足で復興事業が遅れを余儀なくされています。
事態は進行し、被災地ではない秋田や山形においても入札不調が常態化してしまっているようです。
掲載の記事は建設通信8月22日、23日号、日刊岩手建設9月2日号。


釜石市でも、釜石消防署建設工事が不調になったりなどしていました。(しかしこの工事は既に落札されているようです。)
とくに設計内容に問題があるように見受けられない場合がほとんど。


ある大手建設会社の方に個人的な関係でたまたま直接お話を伺う機会もありましたが、
どうもその建設会社はことのなりゆきを見守っているようで、今すぐに動こうとせず、じっと機が熟すのを待っているようです。
曰く、いままで建設費は不当に安く、工期は不必要に短かった、と。



被災地で自分が見聞きしてきた断片的なシーンと、抽象的なレベルで動いている経済の動きの乖離が激しく、自分の中でどのように整理をつけたらよいのかよくわからなくなってくる。



被災地に住まわれるある方は、津波の後に次々と出てくる遺体を一中(第一中学校)に運んだ経験を語ってくれた。
一刻も早く仮設住宅から離れたいという思いをストレートに言葉にしてくださった方の言葉も胸に刺さった。
しかし東京で聞く震災復興の話は、物価の高騰とか、職人不足とか、ぜんぜん被災地の日常そのものとは関係のない話だ。
この人たちは、ほんとうに同じ場所のことを語っているのか?
同じ固有名詞をまったくちがう意味で理解している人たちと話をしているんじゃないかと錯覚してしまうくらいだ。
経済の話はよくわかった。で、倫理はどこに行った?



この乖離はまったく別のニュースを聞いたときに感じたものと似ている。



シリア内戦。

(INTERNATIONAL BUSINESS TIMES http://jp.ibtimes.com/articles/35798/20121008/336485/page2.htmより。)


いくら調べても、シリアそのものの状態はよくわからない。
ネットで調べて出てくるのは断片的な写真だけ。
わかるのはアメリカとイギリスとフランスとロシアと中国とイスラエルレバノンとイランとイラクの関係だけ。


シリアに住む人たちの日常はどうなっている?
この機を利用してパワーゲームに勤しむこいつらに正義を語らせていていいのか?
っていうかこれは内戦じゃないだろ?



グローバルに展開していく抽象的で観念的な何かが、具体的な人間の生活を脅かしているのだ。



自分にとっても、対岸の火事、じゃあすまされないんだろう。
自国のニュースと、遠くの国のニュース。
この二つになにやら同じ構造の気配を感じる。


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