プラハ二日目

朝、ユダヤ人墓地へ。乱立する墓標の光景は圧巻。
ベルリンにあるアイゼンマンのホロコーストメモリアルと似た感じがした。
アイゼンマンはきっとこれを参考にしたのだろう。


シナゴーグ内部はびっしり装飾されていて絢爛豪華である。
ユダヤの人たちは同じパターンの反復が得意だったのかもしれない。
ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの列柱のようなネガとポジが反転して見える模様を多用しているあたりに東方文化を感じる。


それにしても、あるシナゴーグの内部にびっしり書かれたホロコーストの犠牲者たちの名前と生年月日と死亡日の文字の数にはびっくり。
ほとんどの人の死亡日が1942年から1945年に集中していることに気づき背筋に冷たいものが走る。


その後プラハ城をぐるっと回って黄金小路へ。
フランツ・カフカが住んでいたという小さな家もいまやただの観光地である。


その後、アドルフ・ロースのミューラー邸へ。ガイドツアーに参加して内部を見学。
装飾は罪悪であるという言葉は、別にゼイタクを否定しているというわけではないということを再確認。
実際、使われている素材はどれもゴージャスで、いかにもお金持ちの家といった趣き。
大理石による面の作り方が、ミースのそれに似ている気がした。


多分、装飾取り除くことによって、「面の美学」を追求したかったんだな、と思う。
内装だけでなく作り付けの家具までもがすべて徹底して「面」で構成されていた。
ここにデ・ステイルへの影響あるいはデ・ステイルからの影響を看て取る。


0階から1,2階へかけての流動的な空間の感じにはコルビュジェやミースのいくつかの作品と似たようなものを感じるし、3階の個室群や屋上のテラスはサヴォア邸のような雰囲気を持っている。


ファサードは基本的にタテ・ヨコもそれぞれ三分割されていて古典的な構成であるが、開口のあけ方やテラスの作り方などで微妙にシンメトリーを崩すというマニエリスティックな手法はガルシュ邸やプラネクス邸に継承されていると思う。


以上、メモっておいたことを大急ぎでまとめてみました。





明日はブルノ経由でもうウィーン。
プラハはいいところでした。
道行くおじさんおばさんたちの顔が妙に鬱々としているのも妙に趣があってなかなかよい。
ホットドックひとつ150円くらいという安さもよい。


そして美人が多いといううわさはほんとでした。すげえ。
ガイドツアーしてくれたおねえさん、美人すぎ。
絵葉書を買ったお店のキャッシャーのおねえさん、美人すぎ。
アヤシイ店多すぎ。エロ本いたるところで売りすぎ。
でもコーヒーが死ぬほどまずいのでプラマイゼロです。


バーゼルで会ったアメリカンが「ウィーンはコーヒーがうめえぞー」と言っていたのでいまからかなり期待。
オペラを見るためにひそかにジャケットも持ってきてたり。


隣でラテン系のやつがレセプションのお姉さんをナンパしはじめてすごいうるさいのでもうここらへんでやめます。
おやすみなさい。あー眠い。