何かある、でもそれが何かはよくわからない。

夕飯に自宅に戻ると、妻と息子氏と妻の友人とその息子さん(5歳♂)が4人で宴を始めていた。

その友人の実家@那須塩原にはつい先週おじゃましてきたばかりで、こうやって我が家に人が集まってくるというのはとても楽しい。



なにかの拍子に僕の仕事の話になり、
毎日夜遅くまで大変ですねーとか
消費税増税前のかけこみなのか、日赤病院の周辺はマンションがバンバン建って工事だらけなんですよ〜
とか四方山話をしているうちに、
「(建築を仕事にしているっていうのは)やっぱりいつか創りたいなにかがあるんですか?」
と尋ねられた。
僕は咄嗟に「そうみたいなんですよね。何かあるみたいなんですよね。」と答える。





そうみたいなんですよね。何かあるみたいなんですよね。





すこし後で思い出して、なんだか他人事のように聞こえるなあ、よくわからないって思われたかもなあ、と思ったけれど、
自分としては別段間違った答え方ではない。
むしろこの表現がぴったりくると本心から思っている。



なにかある、でもそれがなにかはよくわからない。
生まれながらにして自分に内蔵されている。しかし好き好んで選んだようなものではなく、持っているからと言って何か特別だというわけでもなく、
ただ、そこにある。そこにある以上仕方ないからうまいこと付き合っていくしかない。そういうもの。




確かに自分の頭で考えているはずなんだけど、まるで何かが憑依したかのように何者かの代弁者となって手を動かしているような瞬間が、設計をしていると確かにある。
何者かのエージェントとして建物の実装作業を黙々と行う自分。




文脈を共有しない人による素朴な疑問は貴重。
あたりまえだと思っていることを改めて考えるきっかけを与えてくれる。


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