阿修羅ガール

2005
新潮社
舞城 王太郎


書き言葉を口語化するというのは面白い試みですね。


すべて、登場人物のモノローグで語られている小説。
だから基本的に会話が「図の文」として成立していない。
もっというと、普通の小説にあるような会話文と書き言葉の図と地の関係がまったくない。


全部の文章がモノローグなのだから、いきおい登場人物間のコミュニケーションに関する描写は乏しくなる。これが現代のワカモノの頭の中だといわれても納得できてしまう。というのはちょっと悲しい。


もっとも興味深いのは登場人物たちの内面の深い部分で行われるモノローグが「混線」する場面。
とことんモノローグでしか考えられない現代人の頭、しかしそれでも内面の一番深いところでみんな何かを共有している、という主張をこのシーンから読み取ることができる。


ぎりぎりのところででコミュニケーションに関するポジティブな主張がなされているのはなかなか好感がもてる。
それが希望的観測にすぎないとしても。