バーゼル〜ウィーン

旅行の総括の続き。



3/3 バーゼル



朝、ユースで知り合ったアメリカ人と一緒にプファッフェンホルツ体育館へ。
コンクリートと砂利のまざった壁はどうやって作ったのかわからず、興味深いものがありました。
ガラスのプリントとその内側に張り巡らされた枯れ草?のパネルはそれほど効果的でないように思います。
しかし、ガラスを光を採り入れるためだけに使うのではなく、単なる外装として用いるという手法は面白いと思いました。


次に、すぐ隣にある同設計者によるリハビリセンターへ。
素材の扱い方もさることながら、プランもすばらしいと思いました。特に全体の計画の要である中庭の外部への開き方が秀逸です。
無柱で信じられないくらいのスパンを飛んでいて、地震や台風がないことの自由さをあらためてうらやましく思いました。


徒歩でザハのエンヴァイラメンタル・センターへ行き、その後バスでヴィトラ・アート・センターへ。
ゲーリー、フラー、プルーヴェ、ザハ、シザ、グリムショウ、安藤忠雄の設計による建築群。
もっともよいと思ったのが安藤忠雄セミナー・ハウスです。
単純な幾何学形態のくみあわせで多様な空間を生み出す安藤忠雄さんの手法の真骨頂をみせてもらいました。
ファイヤー・ステーションにあった100個の椅子もかなりすごかったです。いったい総額でいくらするんだろう。
建築そのものよりこのコレクションのほうがすごいと思いました。


バーゼルへの帰り際、H&deMのフォト・スタジオへ。外装の黒い板は焼いた木板で、グレーの方は砂利とコケを混ぜたようなもの。
いちいち外装が手作りで作られているので彼らの作品はどんな作品でもみるたびに楽しませてくれます。


その後、バーゼル市内でスイスナイフをおみやげに買ってホステルに帰り就寝。




3/4 バーゼル



まだ見ていなかったH&deMのシュビッター集合住宅とゲーリーのヴィトラ本社へ。
その後、ゲーテヌアムへ。最初訪れるつもりではなかったけれど、時間が余ったので見てみることにしました。
結果的に、見れてかなりよかったと思います。きっとバーゼルにあるどの建築よりもすごい。
階段室やオーディトリアムの色使いのすばらしさは感動的です。
この第二ゲーテヌアムは1922年に竣工していますが、ロンシャンの教会とどこか似たような印象を受けました。
両者の物理的な距離関係や竣工の時期をみくらべると、コルビュジェゲーテヌアムにインスピレーションを得ていた可能性もあるのではないかと思います。
ゲーテヌアムのすぐ近くに点在する建築群もユニークですばらしかったです。
そのうちのひとつ、焼いた木板によってできたウロコのような屋根は、H&deMがやりそうな皮膜感覚だなあと思ったりもしました。


バーゼル市内へ戻り、漫画博物館へ。H&deMによるリノベーション作品。
しっくいのような仕上げに植物が混ぜられているのをみて驚く。
マテリアルを武器にする建築家は小さい作品でも作家性を出せていいなあと思いました。


夜、バーでビールを飲み、ホステルに帰る。



3/5 バーゼルルツェルンチューリヒ



朝列車でバーゼルを出てルツェルンへ。ジャン・ヌーヴェルのKKLを見学。
ヌーヴェルの作品は好きなものと嫌いなものがはっきり分かれるのですが、今回は前者。
庇というアイディアは日本的感覚であるはずなのにフランス人にやられてしまったのがちょっと悔しいですが。
この日は曇りでしたが見渡す限り雪で覆われていて、湖の色は雪と雲のグレーにほんのちょっとブルーを足したような色。スイスらしい美しい景色です。
その真っ白で明るい景色が黒いひさしで鋭利に切り取られるさまは大変すばらしかったです。
このインテリア化された外部空間は夏はもちろんよいでしょうが、冬は冬でいい空間だなあと思いました。ロケーションのよさを100%活かしきっています。
プラン的には、クリークの導入によってプログラムに応じてヴォリュームを三分割する手法がおしゃれです。


その後列車でチューリヒへ。ここが本当に首都かと思うほどのどかな街。
雪と湖と空。このスイス特有の景色を見ると、庇をつくるというヌーヴェルの選択はやはり大正解だし、
その質は四季の変化によってより豊かになるなあと改めて思いました。


夜、ホステルで建築巡礼中のH君に出会い、行動を共にすることに。
前も書きましたが彼はヴェネツィアサンティアゴ・デ・コンポステーラでK研のS君と行動を共にしていたみたいで、すぐに意気投合。
ミュンヘンでの宿を提供することを約束し、就寝。



3/6 チューリヒ→ヴィンタトゥーア→ミュンヘン



ミュンヘンへ直接帰ろうかと思っていたところ、H君が「S君がヴィンタトゥーアのギゴン&ゴヤーの美術館はすごいって言ってましたよ」というので予定変更し、ヴィンタトゥーアへ。
二つの美術館とも、外装のマテリアルに特徴があります。
一方の美術館はコの字断面の細長い曇りガラスの扱いが絶妙で、かつ内側のRC壁によってダブルスキンを形成し内部環境への配慮もされているというもの。
トップライトの形状は工場みたいでまったく共感できませんが、外壁の作り方自体はすばらしいです。
「ほんとにこんな細い柱だけでこのヴォリュームを持ち上げられるの?」と思うくらいグランドレベルのピロティから見える柱の数は少なく、繊細でした。
ひょっとしたらガラスが鉛直加重を負担しているのかも知れない。
ちょっと怖くてピロティの下には入りませんでした。


もうひとつの美術館のファサードは、酸化銅?を混ぜてあるRCでできています。
ほんのり薄く緑色がかっていてきれいでした。
さらにすばらしいのが、水に触れたりすると色合いが微妙に変わるので雨だれのパターンによって薄く模様ができている点です。
経年変化を計算に入れた野心的な材料選定だなと思い、感動しました。


その後、予定通りミュンヘンの我が家へ。
H君とスーパーで買った安酒(といっても結構うまい!)で乾杯。
疲れていたのですぐに二人とも就寝。



3/7 ミュンヘン



朝はゆっくりすごす。
H君はかれこれ12時間ほど寝っぱなしでした。寝すぎ。よほど疲れていたのだろう。


ゆっくりすごすといえども建築を見ることは忘れません。
ミュンヘン建築の目玉、H&deMのゲーツ・ギャラリーへ。
写真で見るよりも実物はよくないんだろうなあなどとタカをくくっていたのだが、大間違い。よかったです。


古典的な三層構成のファサードの単純さとは裏腹に、その内部空間は多様。
立面図と断面図を横に並べて同時に見ると面白い建築です。
外装に使われている木材(ずっとRCだと思っていた)の感じもとてもよい。
階段を少しずらしつつ配置して光を取り入れる手法もなかなか秀逸です。
小さい作品ならではの設計の密度の高さがなかなかよいなあという印象でした。



3/8 ミュンヘンプラハ



朝5時40分に家を出て朝一の列車でプラハへ。
H君とはミュンヘン中央駅でお別れ。


途中プラハへ向かう列車の中からの眺めがすごかった。
見渡す限りの広大な畑が真っ白に積雪していて、かつ大快晴。
しかも雪の表面から10mほとまで霧がかかっていて、雪の白から空の青まで完璧なグラデーション。
国境を越えたあたりから散見される廃墟になった建物たちをみて
「ああ、チェコにきたんだな」という気持ちになりました。


チェコは通過がユーロでないので駅で少しだけ両替。
金銭感覚が最初つかめなかったけど、慣れてくるとかなり物価が安いことに気づきます。
つい最近までスイスにいただけにそのギャップがすごい。
H君がもっててほしくなったミニサイズのオックスフォード英英辞典を買ってみたりしました。
スイスで見た値段のほぼ半額。得した気分です。


ゲーリーのナショナル・ネーデルランデンとヌーヴェルのプラハ・アンデルを見学。
両者ともただの看板建築にみえてしまいました。前者は写真で見るより構造がごついし、
後者はガラスプリントがあまり効果的でないかな、と。


プラハの街並は今まで見たことのなかった種類のもので、なかなか楽しかったです。
バロック建築全開。


何よりも美しいのは色使いです。
街並の統一感を生み出す要素は様式や街区形式やマテリアルだと思っていたけど、色もそのひとつの要素になりうるということに気づかされました。


3/9 プラハ


朝、ユダヤ人墓地へ。乱立する墓標の光景は圧巻です。
ベルリンにあるアイゼンマンのホロコーストメモリアルと似た感じがしました。
アイゼンマンはきっとこれを参考にしたのでしょう。


シナゴーグ内部はびっしり装飾されていて絢爛豪華。
ユダヤの人たちは同じパターンの反復が得意だったのかもしれないと思う。
ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの列柱のようなネガとポジが反転して見える模様を多用しているあたりに東方文化を感じたりもしました。


それにしても、あるシナゴーグの内部にびっしり書かれたホロコーストの犠牲者たちの名前と生年月日と死亡日の文字の数にはびっくりです。
ほとんどの人の死亡日が1942年から1945年に集中していることに気づき背筋に冷たいものが走りました。


その後プラハ城をぐるっと回って黄金小路へ。
フランツ・カフカが住んでいたという小さな家もいまやただの観光地。


その後、アドルフ・ロースのミューラー邸へ。ガイドツアーに参加して内部を見学。
装飾は罪悪であるという言葉は、別にゼイタクを否定しているというわけではないということを再確認。
実際、使われている素材はどれもゴージャスで、いかにもお金持ちの家といった趣きです。
大理石による面の作り方が、ミースのそれに似ている気がしました。
内装だけでなく作り付けの家具までもがすべて徹底して「面」で構成されていました。
多分、装飾取り除くことによって、「面の美学」を追求したかったのでしょう。
ここにデ・ステイルへの影響あるいはデ・ステイルからの影響を看て取ることができます。
0階から1,2階へかけての流動的な空間の感じにはコルビュジェやミースのいくつかの作品と似たような感じがしたし、3階の個室群や屋上のテラスはサヴォア邸のような雰囲気を持っているように思います。
ファサードは基本的にタテ・ヨコもそれぞれ三分割されていて古典的な構成ですが、開口のあけ方やテラスの作り方などで微妙にシンメトリーを崩すというマニエリスティックな手法はガルシュ邸やプラネクス邸に継承されているのではないかなとも思いました。


夜、ユースのテレビでレアル・マドリードアーセナルを観る。マドリーの選手たちはみんななんだかイライラしていて大変そうでした。
個人的にはアーセナルのほうが好きなので結果に満足しながら就寝。


3/10 プラハ→ブルノ→ウィーン


朝の列車でブルノへ。チューゲントハット邸を見学。
結論から言うと、かなりすばらしい建築であると思いました。
わざわざ行った甲斐があったし、行かずに通り過ぎるにはかなりもったいない建築です。
ミースの建築を訪れるのはこれで3つめ。最大の衝撃はバルセロナ・パヴィリオンでしたがこの作品もなかなかです。


まず全面道路から入り最上階の個室群へ。壁や家具のマテリアルの使い方がやはりミューラー邸と似ていたように思いました。(木目や石の模様の反復のさせ方など)
床から天井まである縦に長い扉がかなり効いていて、実際より天井高が高く見えます。(3200〜3400くらい)
扉というよりも動く壁といったほうがいいかもしれません。扉を開けたときの隣の空間との連続性は意外性にあふれていてエキサイティングなものでした。


下のフロアは上のフロアの小さい個室群とは対照的です。
圧倒的開放感をもつ流動的空間。その流動性は内部空間のみにとどまらず、
内部空間と外部空間の連続性がかなり意識されているように感じました。
圧巻なのは電動窓が床下に格納された状態です。
バルセロナ・パヴィリオンのような完璧な内部と外部の相互貫入は住宅というプログラム上もちろん実現不可能なわけですが、
設計者が本当に実現したかったのはこのガラスが床下に収まっている状態なんだろうなあと思いました。


僕はアメリカ時代の閉じたミースよりもヨーロッパ時代の開いたミースのほうがすごいんじゃないかと常々思っていたのですが、やはり外部との関係性のある空間は魅力的でした。


余韻をかみ締めつつ列車でウィーンへ。


夜、さっそくアメリカン・バーへ行くも貸切で使われてしまっていたので予定を変更し、カフェ・ハヴェルカへ。
建築家の手によるものではないのですが、大変すばらしいカフェです。
「数多くの作家やアーティストたちが集い議論に花をさかせた場所」とガイドブックに書いてありますが、雰囲気満点です。
建築家には決して生み出すことのできない類の空間だなと思いました。
ここで初めてウィーンのコーヒー「メランジェ」を体験。要はカプチーノみたいなものですがとてもおいしいかったです。
というか基本的にウィーンのコーヒーはどれもとてつもなくおいしい。
カフェ好きの僕にはたまらない街です。






かなり長い文章になってしまいましたが、あとは残すところウィーン編のみ。
また明日にでもアップします。