何かある、でもそれが何かはよくわからない。

夕飯に自宅に戻ると、妻と息子氏と妻の友人とその息子さん(5歳♂)が4人で宴を始めていた。

その友人の実家@那須塩原にはつい先週おじゃましてきたばかりで、こうやって我が家に人が集まってくるというのはとても楽しい。



なにかの拍子に僕の仕事の話になり、
毎日夜遅くまで大変ですねーとか
消費税増税前のかけこみなのか、日赤病院の周辺はマンションがバンバン建って工事だらけなんですよ〜
とか四方山話をしているうちに、
「(建築を仕事にしているっていうのは)やっぱりいつか創りたいなにかがあるんですか?」
と尋ねられた。
僕は咄嗟に「そうみたいなんですよね。何かあるみたいなんですよね。」と答える。





そうみたいなんですよね。何かあるみたいなんですよね。





すこし後で思い出して、なんだか他人事のように聞こえるなあ、よくわからないって思われたかもなあ、と思ったけれど、
自分としては別段間違った答え方ではない。
むしろこの表現がぴったりくると本心から思っている。



なにかある、でもそれがなにかはよくわからない。
生まれながらにして自分に内蔵されている。しかし好き好んで選んだようなものではなく、持っているからと言って何か特別だというわけでもなく、
ただ、そこにある。そこにある以上仕方ないからうまいこと付き合っていくしかない。そういうもの。




確かに自分の頭で考えているはずなんだけど、まるで何かが憑依したかのように何者かの代弁者となって手を動かしているような瞬間が、設計をしていると確かにある。
何者かのエージェントとして建物の実装作業を黙々と行う自分。




文脈を共有しない人による素朴な疑問は貴重。
あたりまえだと思っていることを改めて考えるきっかけを与えてくれる。


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面白い本 / book『データでわかる2030年の日本』 三浦展著



『データでわかる2030年の日本』を読みました。著者は三浦展さん。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4800301165/yokohamagoyok-22/ref=nosim/


事実としては既に知っている部分が多かったですが、わかりやすく、これほどの具体的な数字に触れられるコンパクトな本ははじめて。


この本を読んでいて絶えず思い出していたのは大学院生の時のある講義。
2005年、大学院修士1年だった僕は社会基盤と合同の内藤廣先生の講義を受講していた。
「今年、2005年を境に日本の人口は減少しはじめます。日本は縮小していきます。これは真綿で首を絞められるように、あまり痛みを実感できないままに進行していきます」
といった内容のことを講義の冒頭でしゃべられていて、この言葉がすごく頭に残っていた。


別に選んでこの時代に生まれてきたわけじゃないけど、
今年を境にここから先価値観が反転しますとか、それでも世界全体は人口爆発で日本の現象とはねじれちゃっていますとか、やっぱり海外に出れる人材になりましょうねとか、でも出るならヨーロッパとか面白くないから中国とかブラジルにいきなよとか、
いろんな人生の先輩がいろんなアドバイスをくれた僕の2005年。


結局ヨーロッパで近現代建築を見て回ったりインターンしたりして日本に帰ってきてアトリエに勤めるという
かなり古典的なスタイルでいままできたけれど、
ちょっと立ち止まって大きな視点で考えてみはじめよう。


とそんなことをゆっくり考えることのできた2013年の夏休み。でした。


やっぱ、楽しみたいね。


次は、同じ著者つながりで『現在知vol.1 郊外 その危機と再生 』です。
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AGCギャラリー


行ってきましたよ、AGCギャラリー。

http://www.agcstudio.jp/project/


まあ、行ったっていうよりかは、仕事でたまたま前を通りかかっただけなんですけど(休館日で入れなかったし・・・←!!)
去年のこの展覧会は平田事務所も出てて、青木弘司さんデザインの会場構成で、生き生きとした展覧会だったことをふと思い出しました。
たまたま担当していた台湾の「Hotel J」の出展だったのでよく覚えている。もう一年経ったのか。。


Hotel J情報ははこちら↓
http://www.hao.nu/project/jin/jin01.html
http://designote.main.jp/archives/2012/02/15/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E6%99%83%E4%B9%85%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%83%BB%E9%87%91%E5%B1%B1%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%AD/
http://world-architects.blogspot.jp/2013/03/akihisa-hirata-tangling.html

建築家に頼む?



なぜ人は建築家に設計を依頼するのか?
設計事務所で日常の業務に勤しんでいると、事務所の仕事を責任もって完遂すべく日々奮闘することに身も心も捧げてしまうためなかなか考えることがないのだけれど、今日はこれがふと気になった。


目立ちたがりの人がやっぱ特別なものが欲しいとか、集合住宅でデザイナー物件としての付加価値がほしいとか、あるいは設計条件が難しくて設計がうまくないと納められないとかいろいろありそうだけど、やっぱり一番は、自分の周りの環境に自分で手を加えることを楽しめる人が建築家に頼むんじゃないだろうか。


それは必ずしもそんなに大袈裟なことじゃなくて、
例えばガーデニングが好きでいろいろ楽しみたいと思うだけでも、賃貸だと日当たり悪いとか灌水システム無いとかマンションの管理規約上出来ないとかいろいろ条件が重なり合って難しかったりするし、そもそも本格的なガーデニングにちょうどいいサイズのバルコニーってなかなか無かったりする。
例えば和風が好きな人が壁を漆喰塗りにしたかったりしても今の賃貸じゃ普通はそれは出来なかったりする。
だから、そういうちょっとした好みに合わせた、ちょっとだけ気の利いた(そのほかのほとんどの部分はシンプルな)空間を欲しがる人は割に多いんじゃないだろうか。顕在化してないだけで。


あと一戸建ての家の場合に、一見あり得なさそうだけど実はあり得るのは、お金はかけられないんだけど自分好みの家が欲しい人。少ない予算だと普通はハウスメーカーの家くらいしか建てられないんだけど、それだと完全に画一化されてる。建築家に頼む場合は低予算であることをあらかじめ最初に言っておけばその範囲で当然なんとかしようとするし、全部オーダーメイドだから割に細やかな要望に対して気を配った柔軟な設計をしてもらえる。(低い建設費で納めるためには普通より労力がかかったりするのが普通だから、設計する側からするとたいへんだけど。普通は設計料は建設費の何パーセント、といった具合に割合で決まっているので建設費低いほど報酬が少なく、かかる労力は大きい。)


だいたい、優れた建築家やデザイナーというのは、施主や共同設計者とか他者とのやり取りの中から「これしかない!」っていう落としどころを探しあてることのプロなので、「同じものを大量生産する」ことよりも「少ない数しか必要のないものをたくさんつくる」必要のある今の時代にはわりと必要な職能なんじゃないでしょうか。だから建築家に頼む人もいるんじゃないかと。

釜石復興公営住宅+こども園

設計もほぼほぼ終了し、そろそろ工事に・・・

昨日訪れた釜石の街は、山と雲の重なり合い方が幻想的でたいへん美しい光景が広がっていました。
海抜は低いのですが、雲も低い。


リアス式地形の街ではすこし小高い丘になったところに神社仏閣がよく設けられているような印象がありますが、
こういう光景をみていると、何か神がかった存在が雲と山の重なりあうあたりにいるような雰囲気が感じられて、妙になるほどなあ、と納得してしまいました。

新建築7月号掲載

平田晃久建築設計事務所が基本設計(僕担当)、竹中工務店が実施設計・現場監理を行った虎ノ門のビアガーデンが新建築7月号に掲載されています。
TVCMにもなりました。(竹中工務店の担当は僕の大学の同期の松原さんでした)
http://www.japan-architect.co.jp/jp/works/index.php?book_cd=101307&pos=6&from=backnumber